“自分らしく生きる”ことに
寄り添う仕事を続けて
いつしか黒子のような存在に
【セコム訪問看護ステーションくがやま】

※この仕事は募集終了いたしました。ご応募ありがとうございました。

訪問看護は、「ありがとう」と言われる機会が多い仕事のひとつです。しかし、その「ありがとう」を受け取ったときに、単純に喜んでよいものでしょうか。

“セコム訪問看護ステーションくがやま”の小川さんは、訪問看護のゴールは「ありがとう」と言われることではないと考えています。
いったい、どういうことでしょうか。

「自分らしく生きたい」と、多くの人が願っています。
その「らしく」とは、一体、どこから生まれてくるのでしょう。

答えのひとつを、京王井の頭線「久我山駅」から徒歩5分のところにある
“セコム訪問看護ステーションくがやま”で見つけることができました。

久我山駅から南に向かうと、緩やかな上り勾配の商店街が見えてきます。
長い間、地域を見守ってきたであろう佇まいの書店や時計店、ラーメン屋さんや和食のお店、惣菜店など。

暮らしに根付いた街並みの中を5分ほど歩くと、玉川上水の手前に見えてくるのが“セコム訪問看護ステーションくがやま”です。

在宅支援には、看護と介護、リハビリテーションなどがありますが、
訪問看護は、医療分野における自立支援を主に行います。

日本各地、どのステーションでも、利用者のタイプはさまざま。
所得で見ても、くらしに余裕がある方から生活保護の方までおられ、性格で見ても、マナーを重視する方からフレンドリーさを求める方までおられます。
対象が誰かに関わらず、訪問看護師は、利用者の自立支援を目指します。

しかし、どこまで“自立”を支援し、“らしく”を追求するかは事業者によって大きく異なっているといえるでしょう。

“在宅での自立支援をします”と看板を掲げること自体は簡単です。
しかし、多くの医療提供者やソーシャルワーカー、訪問看護・介護事業者は
そろそろかなと思うと、在宅ではない選択肢を勧めるようです。

家に居続ける願いは、かなわないのでしょうか。

「お歳を召したり、障がいがあったり、認知症になったり、独りになっても、自分が家にいたいと思ったら、その人らしく家に居続けることをギリギリのところまで支援しています。」

「私たちを頼ってくださる方の中には、他社で在宅が限界となった方も多くおられます。」

そう話してくれたのは、ケアサービス部担当課長の倉井さん。(写真左)

自身も、10年以上在宅の現場で活躍し
現在は、マネージャーとしてセコムの訪問事業の骨組みをつくっています。

「在宅を諦めるのは、誰であるべきかが問題です。それは、外部の人間ではなく、利用者様ご自身ではないでしょうか。
とはいえ、人間には遠慮や見栄もあるもの。心の内を話せないご利用者様も多くおられます。」

「だからこそ、私たちには『察する』スキルが最重要になってきます。」

もし、私が利用者の立場だったらどうだろう。

確かに、家にいたくても遠慮してしまい、話せないかもしれません。
でも、察してもらえたら…希望がかなうような気がします。

情熱的でありながらも、ロジカルな論理展開をする倉井さんは続いて、訪問看護の仕事の本質を話されました。

「相手の思いと、専門職として提案できることをすり合わせることこそが、真のサービスではないでしょうか。」

「つまり、相手の思いをいかに正しく受け止められるかが、訪問看護師の力の見せどころです」

長く訪問看護師として活躍した倉井さんには、マネージャーになったことで初めて分かったことがあるそうです。

それは、この仕事は一人で抱え込んではダメだということ。

「訪問は基本的に一人で行います。だからこそ、いつも一人にしてはいけないのです。
課題や悩みを抱えこんでしまうから。」

「セコムの訪問事業における最大の特徴は、業界標準はプライマリー制(担当者制)の中、チーム制を採用していることです。利用者様にもスタッフにもやさしい訪問看護の在り方を追求しつづける中で生まれました。」

かつて、プライマリー制の訪問看護の現場で奮闘している倉井さんを本人に気付かないようにサポートし続けたのは、当時の上司でした。

時が流れ、同じ立場になったときに、そのありがたさを実感するとともにプライマリー制では、問題を抱え込んでしまうスタッフがいると考え、反対意見もある中、訪問看護ステーションくがやまをチーム制に切り替えたそうです。

チーム制で働く訪問看護の現場に目を移してみましょう。

解説してくれたのは、“セコム訪問看護ステーションくがやま”副所長の小川さん。

2012年の事業所立ち上げ時からのメンバーで、セコムの訪問看護事業の風土もムードも成熟していく姿を小川さんは現場から見てきました。

「この事業所が立ちあがる前は、セコムが提携している久我山病院内のくがやま訪問看護ステーションで訪問看護の仕事をしていました。」

「当時はプライマリー制で、とにかく、私が関わることで利用者様に何かマイナスがあってはならないと必死だったことを覚えています。」

「チーム制の良さは、利用者様をより深く知ることができること。」

「私が見たAさんと、メンバーが見たAさんは、同じではありません。スタッフ同士で情報共有をする中で、Aさんってこんな一面があったのか!と気付かされることが多々あります。
もちろん、会話で得た情報は、次の訪問から活かしています。」

“プライマリー制の方が利用者のことを深く知ることができる”

誰もがそう考えてきました。
しかし、小川さんが話すようにひとつの事柄を一方向から見ることは全体像をとらえていない側面も持っています。
とはいえ、プライマリー制の方が一人の利用者と会う密度が高くなるという事実もあるでしょう。

「セコムケアサービス部は訪問看護事業のほかに、訪問介護事業・通所介護事業を持っています。
私たち訪問看護師は、プライマリー制でも一人の利用者様と会うのは週に1回程度。
対して、介護職の人たちは、毎日のように利用者様と接しています。」

「状態の微細な変化を察知すべきなら、訪問看護師と介護職が緊密に連携できる環境を持つことが、何よりも利用者様のためになります。」

「セコムは医介連携の観点で、他の事業者さんよりも一歩進んだ環境を持っています。
もちろん、現場で働く訪問看護師としても安心できますし、一人の職業人として成長の機会が多いと感じています。」

とはいえ、数年前までのセコムは、各事業が縦割で存在していたとのこと。
数年前から、事業所の特色が所長の個性や考え方そのものだった体制を
より、セコムとして一律のサービスを提供できるように変化させてきたといいます。

「久我山の他に鎌倉などの訪問看護ステーションがありますが、以前はどんな人がどのように働いているのか知りませんでした。」

「それがチーム制になり、ステーションの垣根を超えて研修が行われるなど、ますます情報共有が進み、連動して働き、成長できる機会が増えています。」

いまでは副所長として、訪問看護の仕事に加え、ステーションの運営にも携わる小川さんは
なぜ、この道を選んだのでしょう。

「人が生きるところは自分の家だと考える人がほとんどではないでしょうか。」

「病気でも自宅で過ごしますし、いつでも入院しているわけではありません。
ですから、家で治療しながら生きていくというイメージが、まず頭の中にあります」

「加えて、私の祖父が自宅で自然に亡くなった時の経験も大きいですね。通院だけで最期を迎えました。」

「死の直前は、ご飯をほとんど食べず、トイレは自分で行っている状態。
その日、なかなか起きてこず、母が介助してご飯を食べたそうですが、次に部屋に入ると亡くなっていました。通院先のお医者さんになんとかお願いして来てもらい、死亡診断書を書いてもらったことを覚えています。」

「ですから、警察が来て…ということになりませんでした。
その時、私は初めて“なだらかな最期”というものを経験したのです。そこが、原点だと思います。」

死は、どんな人にも訪れます。
その時、最期の場所として自宅を希望する人が、ほとんどではないでしょうか。

訪問看護師となってから体験したもうひとつの“なだらかな最期”によって、小川さんの仕事への取り組み方が定まったそうです。

「60代で女性のALS(筋萎縮性側索硬化症)の利用者様を通じての経験です。」

「利用者様ご本人とご家族は勉強会を通じて、“呼吸器は付けない”という道を選ばれました。
とても強い意思でした。
3人の娘さんがおられ、私の病気で彼女たちの人生を振りまわすことは自らの信念に反すると選択されたそうです。」

「そう決めてからの利用者様は、残る人生を楽しむことを始められました。」

「食べたいもの、行きたい場所、さまざまな願いをかなえたのですが、その最たるものは、ハワイでのサンセットクルーズです。
ハネムーンで行った時に、あいにくの雨天で中止になってしまったそうで、再チャレンジするとのことでした。
お医者さんも、いざという時のハワイの病院を紹介するなど、万全の体制で出発し、見事に夢をかなえられました。」

「そして、しばらくしてお亡くなりになりました。その後、ご家族のもとへ挨拶に伺ったのですが、旦那さんと娘さんたちから“お母さんは、意思を通したと思います。穏やかな顔でした”と話していただきました。」

「その時、変わっていくもの、変わらないものが存在し、利用者様やご家族のお気持ち、価値観、希望などが、自然な形でかなうように接することが最も大切だと学びました。
寄り添うという言葉の意味を体感したのです。」

「それから、私は“黒子でいいのよ”とメンバーに話すようになり、“ありがとう”は通過点と考えるようになりました。」

病気だと、不幸なのでしょうか。
健康だと、幸福なのでしょうか。
逆の人もたくさん存在しています。

小川さんは、このご家族とのなだらかな最期という時間を共有する中で
“訪問看護師とは、黒子である”という結論に至りました。

「とはいっても、私もチームのメンバーも人間です。
肯定そのものは、もちろんうれしいし、大切なこと。」

「黒子としてきちんと職務を完走し、ステーションに帰ったら、メンバー全員で“うまくやれたね”“よかったよね”と声を掛け合っています。」

今日も、セコム訪問看護ステーションくがやまでは始業時のミーティングはもちろん、
ランチタイムでお弁当を囲んでいるときや退社前のちょっとした時間でおしゃべりをして、雑談も交えながら活発に情報交換をしています。

それは、黒子として、楽しく誇りを持って仕事をするための準備運動です。

「たとえ訪問看護というジャンルが初めてでも、大丈夫です。私も看護師として勤務した後、子育てによる長期間の休業を経て、パートで戻ってきました。」

「チーム制ですから、何でも聞けば返ってきますし、同じ利用者様についてのディスカッションも活発にできます。
子どものことやプライベートの心配も少ないです。
この環境だから安心して、看護師資格を活かしてみませんか?と胸を張ってお誘いできます。」

さまざまな話を小川さんとしましたが
充実した表情が、とても印象に残っています。
それは、母として、看護師として、地域を愛する人として、
他者の生活を黒子として支えるプロフェッショナルの姿でした。

募集条件は、週1日から週5日まで。
どのような環境にいても、楽しく成長を望む有資格者は大歓迎とのことです。

次に黒子となり、久我山周辺の人々を
知らず知らずのうちに幸せにするのは
あなたかもしれません。